薬師如来像(銅製)
銅製薬師如来(70cm)は貞享4年(1687)京都の妙心寺242世大道生安和尚が布教のため全国を遊歴した際に、たまたま下風呂温泉に立ち寄り入湯した。
その時にお礼として、当時の湯監長四郎と里町佐賀氏に薬師如来を寄進する約束をして帰り、筑後の鋳物師を雇い銅製の薬師如来像を鋳造させ、翌年(1688)下風呂の稲荷神社に寄進したとされている。
その後、別当である菊池氏が還俗することになったため、明治5年(1872)自由庵で譲り受けた。
薬師如来像(木像)
その作者年代及び由来を審らかにせずと云えども伝え聞く万治の頃(1658)下風呂温泉(大湯)掘削の時に地下より掘出されたといわれている木像の薬師如来像(70cm)は、長い間放置されていたが、下風呂の金森寅吉の妻しず子が薬師像の霊夢を感じ、寅吉と相談して厨子を新調して大正6年(1917)自由寺に奉納し安置された。
上記の事は『下風呂薬師如来記』と『自由庵木像薬師如来記』に記されている。
その他にも、『かわいい仏像たのしい地獄絵』で紹介していただいた、2体の僧形立像(地蔵菩薩)がまつられている。同じ作者によるこの2体は耳が不思議に大きく、ずいぶんななで肩なところが特徴である。